うららかな日に散文を読む日記

私は中国語の散文を読むのが好きで、訳すのも好きです。

2人の孤独

没有伴侣的时候,即使是孤单,也可以很快乐。 
这个时候,孤单是一种境界。 
你可以一个人走遍世界,结识不同的朋友。你也可以选择下班之后,立刻回到家里,享受自己的世界。 
一个人的孤单,并不可怕。 
最可怕的,是有了伴侣之后那份孤单。 
伴侣糟糕。你却不能离开他,那是最孤单的。 
你和他,曾经有过许多快乐的时光,你以为从此不再孤单。只是,许多年后,你忽然发现,你宁愿孤单一个人。假如只有你一个人,你用不着再向他交代你的行踪,你毋须再迫自己和他一起成长或一起不成长,你不必再听他唠叨,你不用再迁就他,你不用再向他说甜言蜜语。 
当你为他做了这一切,你竟然感到无比的孤单。 
然而,你有太多理由不能离开他。 
你不忍心让他孤单,不如你自己孤单好了。 
原来,所有的责任、感情、承诺、道德、传统、忍耐,都是孤单的源头。 
孤单不是与生俱来,而是由你爱上一个人的那一刻开始。

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伴侶がいないとき、孤独であっても、楽しいときはある。
このときは、孤独はある境遇である。
君は1人で世界を巡り、色んな友達に出会ってもいい。君は仕事が終わったらすぐ家に帰って自分の世界を楽しんでもいい。
1人の孤独は、怖くはない。
一番怖いのは、伴侶がいてからこその孤独。
伴侶が合わなくても、離れられないのが、本当の孤独である。
君と彼は、たくさんの楽しい時間があって、もう寂しくないと君が思う。しかし、長年も過ぎ、君が悟ったのは、1人の方がいい。君が1人だったら、彼に自分の行方を告げることもなく、彼と一緒に成長していくか、行かないかと悩まずに、彼の愚痴を聞かずに、彼のことで妥協せず、彼に甘い言葉をかけずに済む。
彼のためにこれまでのことしたのに、何故孤独感に襲われるんだろう。
そうか、全ての責任、感情、約束、道徳、伝統、忍耐は孤独の原因である。
孤独は生まれつきなものではなく、人を愛したその一瞬で始めたものである。

香港人気女性作家張小?が、恋愛中の人の心境を描いた作品。2人の孤独が1人の孤独より寂しく感じる、だから、人はよく言う「あなたは近くにいるのに、遠く感じる」というフレーズ。

こんな歳になって、もうそんな心境はなかった。家庭円満で毎日平凡で、さり気なくても、幸せ。この文書を読んで、若いときの切ない気持を思い出して、「そんな時代もあったんだね~」と、今の幸せに感謝。逆かもしれないけど、大好きな旦那様にフジテレビのフラワーギフトでも送ろうかなぁ~



「貧」と「富」

有人我:试过很「贫穷」的日子吗?
如果是「经济」上的,大概没有。这不是钱的问题,只是知足(被迫地)。
当然,「贫穷」的日子,其实有的: 手机不响、没有留言、没信、没Fax、没人理会我(更别说对我好了)……何止「贫无立锥」?简直连锥也无!
荷包总不能完全乾瘪。但「贫」与「富」,某些时候比较抽象。
最「富裕」是开心。
开心。 不是「笑」,笑很容易,任何人牵动嘴角肌肉,便一张笑脸。「开心」是心底浮升的,快乐得想哭的感觉。

         



ある人に聞かれて:「貧しい」生活をしたことある?
経済上の話だったら、ないかもしれない。お金の問題に関わらず、満足してるだけ(仕方がなく)。
もちろん、「貧しい」生活があった、携帯が鳴らずに、メッセージもなく、手紙もないく、ファックスもなく、誰も私のことなんか気にしてない(私に優しくするなんて、もっとあり得ない)・・・、「貧しすぎてきりを立てるほどの土地もない」って言うけど、ここではきりさえなかった。
財布をぺちゃんこにするわけにはいけないでしょう。しかし「貧」と「富」は、時々比較的に抽象的である。
一番「裕福」は楽しい。
たのしい。「笑う」だけではなく、笑うことは簡単、誰だって口角の筋肉を動かせば、笑顔に見える。「うれしい」は心の奥から浮かび上がる、涙が出るほど楽しい感情。

なるほど、心の貧しさは、本当の貧困ということだね。お金より、毎日嬉しい、楽しい感情が本当の幸せなのかもしれない。最近、私はいつ大笑いしたんだろう。



あなたのため

“我是为你好。”是我们常常用的借口。
我门不会对不相识的人好,不会对邻居好,也不会对一位泛泛之交好,我们只对我们所爱的人好。
因为出发点是如此崇高,于是我门可以理直气壮地?:
“你不要再跟那个人来往了,他讨厌。”
“你不要穿那种衣服,难看死了。”
“你不要上那个课程,只有傻瓜才会觉得有用。”
“你不可以看些比较有深度的书?这些全都是垃圾。”
我们总是喜欢把自己的价值和喜好强加于喜欢的人身上

既然我喜欢他,他也喜欢我,那么,我喜欢的东西,他也该喜欢。我讨厌的,他也应该讨厌。一旦这个做法不得逞,对方“教而不善”,我们不禁满肚委屈,觉得自己的好意被辜负了。假使我不在乎你,我才不管呢!“我就是喜欢这样!你别理我!”恋人又羞又怒。一场吵架由此开始了。                                          “我是为你好,如果你是别人,我才不理你!”我们回嘴。                                        问题是:我们自己的价值和喜好又是否真的高出一点呢?                                        我们也许忘了,当我们怀念一个人的时候,怀念的并不是他的价值和喜好,而是他让我成为我自己。

          


「あなたのため」は我々がよく使う言い訳。
知らない人のためではなく、隣人のためではなく、知り合いのためではなく、我々は愛する人だけのために考える。
その出発点は偉大であるから、我々が気が強く言える:
「その人と付き合うのをやめて、彼は嫌なやつだ」
「その服を着ないで、似合わない」
「その授業を取るな、それが役に立つなんて、バカしか思わないでしょう」
「もっと話の深い本を読めば?これは全部ゴミ」
我々はいつも自分の価値観や趣味を、自分の好きな人に押し付け、
私は彼が好き、彼もあたしが好き、だったら、私が好きなものなら、彼も好きでないと。私が嫌いなものなら、彼も嫌いでないと。
しかし、思い通りに相手の「教育」がうまく行かないと、我々が不満たらたらして、好意が裏切られた気がして、あたなたことを大事に思えなければ、そんなことをしないわよっと。

「僕はこれでいい。かまわないで」と恋人は羞じかいて、怒る。
喧嘩が始まる。
「あなたのためよ。他人だったら、そんな事知らないのに」我々も納得しない。
しかし、問題は:我々の価値観や趣味は本当に彼のよりレベルが高いのかな。
あることを忘れてしまったでしょう。人へ慕う感情を抱くときは、彼の価値観や趣味に関係なく、彼がいるので、我々は自分らしくいられるからなのだ。

これも香港人気女性作家張小?の作品で、意味がとっても深く、訳すのが結構難しかった。

分かりやすく言うと、自分が「あなたのため」って言いながら、実は自分の言い訳を正当化したいなだけかもしれない。気に食わなくても、本当に愛する人のために、もっとスペースをあげようって話なんじゃないかなと思う。



人生の五章

人生的五章

第一章
我走上街,人行道上有一个深洞,我掉了进去。我迷失了……我很无助。但不是我的错,费了好大的劲儿才爬出来。

第二章
我走上同一条街,人行道上有一个深洞,我假装没看到,还是掉了进去。我不能相信我居然掉在同样的地方。但那不是我的错,我还是花了很长的时间才爬出来。

第三章
我走上同一条街,人行道上有一个深洞,我看到它在那儿,但仍然掉了进去……这是一种习惯了。我的眼睛睁开着,我知道我在哪儿,这是我的错。我立刻爬了出来。

第四章
我走上同一条街,人行道上有一个深洞,我绕道而行。

第五章
我走上另一条街。

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人生の五章

第一章
私は街で歩いて、道に深い穴があって、その中に落ちってしまった。私は見失ってしまい・・・頼りもなく。私のせいじゃない、苦労してやっと這い上がってきた。

第二章
私は同じ街で歩いて、道に深い穴があって、見えないふりして、またその中に落ちってしまった。同じ中にまた落ちってしまうなんて信じられなかったけど、私のせいじゃない。また時間をかけてやっと這い上がってきた。

第三章
私は同じ街で歩いて、道に深い穴があって、私はそれを見えたのに、また中に落ちってしまった・・・もうある種の癖になった。私は目を大きく開いてたし、自分はどこにいるかが分かっていた、それは私のせいだ。私はすぐ穴から出てきた。

第四章
私は同じ街で歩いて、道で深い穴があって、私は穴を避けた。

第五章
私は他の道を使うようにした。

人って何ていつも同じミスをしてしまうんだろう。分かっていてもやってしまいがち。それでも、同じ過ちを繰り返すうちに教訓を得て、成長するのが人間。

しかし、人生の道にいくら穴があっても、足りないようですね。



青春

在年青的时候,如果你爱上了一个人,请你,请你一定要温柔地对待他。
不管你们相爱的时间有多长或多短,若你们能始终温柔地相待,那么,所有的时刻都将是一种无瑕的美丽。
若不得不分开,也要好好地说声再见,也要在心里存着感谢,感谢他给了你一个回忆。
长大了以后,你才会知道,在蓦然回首的刹那,没有怨恨的青春才会了无遗憾,如山丘上那轮静静的满月。

                   



若いころ、君は誰かと恋に落ちていたら、彼を、彼を優しくしてください。
君たちは付き合う時間が長いであろう、短いであろう、お互いを優しくできたら、その一緒にいる時間が全部完璧に美しいである。
仕方がなく、どうしても別れなければならないときが来ても、ちゃんとさよならと別れを告げ、感謝を心に納め、彼からもらった思い出に感謝。
大人になってから、分かるはず、ふっと振り返ってみれば、怨念のない青春こそ悔いのない青春が、静かに丘を照らす満月のように。

若いころを振り返ってみれば、昔付き合っていた人のことを思い出して、彼や彼女は、今何してるかな?元気にしてるかな?って思うことがあるでしょう。ほろ苦い経験もあるけれど、今になって、その時もっと優しい言葉をかければよかった。そんな喧嘩別れをしなければよかったと後悔があっても、心の中で封印するしかない。

でも、完璧の青春なんてない。悔いのある若い記憶こそ青春かもしれない。しかし、過ぎた時間はもう二度と手に入れることができないので、その過ぎた時間と昔の後悔を重ねて、心残りになって、懐かしむ。



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